文庫本「ノルウェイの森」を読んで

 

文庫本「ノルウェイの森」を読んで

     

    ○はじめに

 私が、読んだことがある村上春樹氏の作品は、

・風の歌を聴け

1973年のピンボール

・ねじまき鳥クロニクル

・海辺のカフカ

1Q84

・色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

・女のいない男たち

・職業としての小説家

である。松山ケンイチ氏主演の映画を先に見ていたので、ある程度話の内容は分かっていた。映画を見たのは6年も前である。なぜ読むのが今だったのか。村上作品はある程度読んでいたのに、なぜ代表作とされている「ノルウェイの森」を読んでいなかったのか。映画を見て読んだ気になっていたのか、今さら敢えて読むなんてと思っていたのか理由はあるのだろう。きっかけは単純で、「職業としての小説家」を読んで初期作品を読みたくなったからである。そこで、「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」を読んで、ようやく「ノルウェイの森」にたどり着いた。この作品を好きである。

    

 ○感想

 読むたびに、映画で見た情景が浮かんできた。映画から先に入り、原作を見る場合のあるあるであろう。詰まることもなく、一気に読み切ることができた。先に正直に言っておくと、私は村上作品の独特の世界観を理解しているのは言えない。それでも不思議なことに長編であっても最後まで読み切ることができる。村上氏以外の長編小説では、途中で読むのを止めてしまうことがある。例えば、ジャンプやマガジンなどの雑誌を買っても読みたいところをだけを読んで、つまらないと思ったものはそのときもその先も飛ばしてしまうタイプの人間である。先にお金を払ったからなどというサンクコストには縛られない。そんな私でも毎度最後まで読み切ることができる読みやすさや惹きつけられるものが村上作品にはあるのだろう。

     主人公の設定は、毎度おなじみである。本人がベースにあるのだろう。関西からの東京の大学に上京。この作品の特徴として感じたのは(これも毎度おなじみであるが)、主人公「ワタナベ」の周りにいるひと達が個性豊かすぎるところである。「突撃隊」と「永沢さん」は惹きつけつられるものがあった。特に「永沢さん」は映画を見てから6年以上も経っているのに鮮明に覚えていた。いつの時代も「東大法学部」は絶対的な存在である。どこかひとは、絶対的な存在を求めていて「ボンボン」「東大法学部」「外務省」という圧倒的な存在をこの作品に置くことで現実的な世界と独特な世界の中和を図られている気がする。そして、「ワタナベ」という存在が一般的な学生であることを特徴付させるとともに、その「永沢さん」から一目置かれる特別な魅力を持った存在と印象付けさせている。

     次に「突撃隊」についてである。こちらは映画では全く記憶に残っていなかった。登場していたのだろうか。文庫本を読んで、こんな強烈なキャラクターがいたのかと驚かされた。「突撃隊」には作中のひとたちと同じく、こちらも笑顔にさせてもらった。このようなひとには私の人生の中でも何人か出会っている。昨今は、直ぐに病名を付けたがるが本人が不自由なく周りにそれほど迷惑をかけていないのであれば、それは「突撃隊」のような皆を楽しませる強烈な個性を持ったひととしてよいのではないかと思わせられた。「突撃隊」は純粋過ぎたのだろう。「ワタナベ」の言葉をそのままの意味で捉えてしまったと私は解釈した。また、地図学を学んで国土地理院を目指すというこてこての設定が「永沢さん」と同じく、典型的で象徴的な設定である。私の中ではこの二人及び「ワタナベ」の寮の生活が印象に残る作品であった。

    療養施設「阿美寮」という特別な場所が出てくるがいたって現実的な話であった。心に何かを抱えているひとが、何かしらの決断を下す。ときに「死」を選び、ときに「レイコ」のように一歩踏み出す。個性的な登場人物により「人間らしさ」や「多様性」を感じさせられる作品であった。

    作品として、「自殺」や「心の闇」が大きなウエイトを占めているが、それほど暗い作品には感じなかった。突拍子もないことを言うが、村上氏の作品は「機動戦士ガンダム」の作品構図に似ている。ごく普通の少年がいろんなことを経験して成長していく。主人公は感受性が豊かである。ガンダム特にZガンダムでは主人公の他は皆戦死していき、それを力に変える。そして、ガンダムでは主人公は死なない。ガンダムでは「死」を絶望として描いていない。最後に大きくなった、英雄になった主人公がいる。話を戻すがこの作品にもこの王道的なストーリー展開があり、最後に前を向いた主人公に希望を感じる。今回は、それが「ワタナベ」と「レイコ」が担った役割分担だった。

   

                                       閃光のクレア